アメリカ海軍のF-4が初めて実戦参加を果たしたのは1965年3月の「ローリング・サンダー作戦」だった。それ以前にもF-4飛行隊が乗艦する空母が北ベトナム沿岸に展開していたが北ベトナムの航空戦力はほぼゼロに等しいので最新鋭のF-4の実戦投入は不要として見送られていた。
3月29日には第151戦闘飛行隊のF-4B二機が北ベトナム上空で撃墜され初損失となっている。4月29日には中華人民共和国の領空を侵犯した第96戦闘飛行隊のF-4Bが中国人民解放軍空軍の戦闘機に撃墜されている。
同年6月17日、空母ミッドウェイの第21戦闘飛行隊のF-4B二機がハノイの南方80kmで遭遇したMiG-17の4機中2機をすれ違いざまにスパローミサイルで撃墜し、はじめてF-4の火器管制能力を発揮するに至った。これは全アメリカ軍を通じてベトナム戦争初の撃墜記録となった。以降、アメリカ海軍のF-4BとF-4Jは北ベトナム軍戦闘機を36機撃墜しているものの、ほとんどがサイドワインダーによるものだった。
アメリカ海兵隊
ベトナム戦争開始後、在日アメリカ海兵隊にも前線への出撃命令が下され、F-4飛行隊も南ベトナムのダナン基地やチュライ基地に進出した。後に激戦期と呼ばれることになる1968年末における任務は南ベトナム国内で活動する共産軍の制圧のための通常爆弾やナパーム爆弾、ロケット弾、ガンポッドによる対地攻撃であり、空中戦とは無縁の日々が続いたという。それでも、展開するF-4飛行隊は五個に増強されていた。当時2機のF-4を失ったものの乗員は全員救助されている。
だが1972年以降、攻撃目標が南ベトナムから北ベトナム、特にラオスを経由し南ベトナムに伸びる大補給ルート「ホーチミン・ルート」に移ると損害は増加した。北ベトナム軍正規軍の装備する対空砲や対空ミサイルにより、3機のF-4の損失と2名のパイロットの行方不明という損失を蒙っている。
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